第4回
プロトコルを考える(後編)
こんな感じで、建築にアートを施工するプロジェクトがスタートした。
建築プロデュース:小森常茂
「駒原さん(施主)、これからは少し贅沢な暮らしもどうですか? たとえばアートがあるだけでも、生活の質が変わってきますよ。」
建築設計:田口剛章
「竹中さん、天井に絵を描いてみませんか?」
施主:駒原厚雄さん
「 (^_^) 」
アーティスト:竹中隆雄
「やり甲斐がありそうなので、最大限に頑張らせてください。」
この写真は施工がほぼ完了時のものであるが、まず最初に気になったのは、柱の存在である。ちょうど画角のど真ん中に鎮座するため、どのような構図を考案しても作品が死んでしまう。構図以前に、光を当てると天井の四方に影が落ちるために、作品はいっそう成立しがたい状態になってしまう。正直、今回ばかりは地雷を踏んでしまったように思えた。辞退を申し出るなら、すこしでも早いほうがいいだろう。そんなことを考えながら現場を後にして、真夏日の炎天下をランニングで帰宅した。筆者は仕事以外にランニング中毒でもあり、難問をクリアするために、走ることで脳を活性化させるのが習慣になっていた。そのときに閃いたのが、これである。
施主の駒原さんは石材業を営まれており、墓石をおおく手がけられている。懸案となっている柱の存在を墓石と見立てることで、問題が一気に好転するような光明が見えてきた。ただし、照明を当てたときの影の問題をどうやってクリアすべきなのかは暫くのあいだ悩んでいた。一度お会いしただけではあるが、施主の人柄と生き様について思考を巡らせてみた。質素を良しとされ、贅沢とは縁遠い奥ゆかしい暮らしをされている。「奥ゆかしい」その言葉を頭のなかで何度か反芻してみる。「あ、これだ。」と思った。見たいときだけ浮き上がる、奥ゆかしい絵画はどうだろう? 英語でキャッチーに表現するなら、「seldome, specutaclar.」。じつは、今回の本題のプロトコルである。和訳すると「時には壮観に」のようなニュアンスになる。こうして、アートの施工に着手する段取りとなった。
施工監理:吉田一孝
「竹中さん、足場を組んでおきました。」
施主の駒原さんは石材業を営まれており、墓石をおおく手がけられている。懸案となっている柱の存在を墓石と見立てることで、問題が一気に好転するような光明が見えてきた。ただし、照明を当てたときの影の問題をどうやってクリアすべきなのかは暫くのあいだ悩んでいた。一度お会いしただけではあるが、施主の人柄と生き様について思考を巡らせてみた。質素を良しとされ、贅沢とは縁遠い奥ゆかしい暮らしをされている。「奥ゆかしい」その言葉を頭のなかで何度か反芻してみる。「あ、これだ。」と思った。見たいときだけ浮き上がる、奥ゆかしい絵画はどうだろう? 英語でキャッチーに表現するなら、「seldome, specutaclar.」。じつは、今回の本題のプロトコルである。和訳すると「時には壮観に」のようなニュアンスになる。こうして、アートの施工に着手する段取りとなった。
この足場は、言葉の意味でも物理的な意味でも「お膳立て」みたいなものだ。過不足なく、描きやすいように足場が設けられている。もしも自分単独であったならば、このような仕事に携わることはできなかったであろう。今回の建築のリノベーションプロジェクトは、筆者がラストバッターとして登場することに、あらためてチームワークとしての仕事のダイナミズムが伝わってきて、興奮度が静かにピークに達した。こうして描き上がったのがこの作品である。
何も描かれていないように見えるところがポイントで、ブラックライトを当てたときだけ浮き上がる作品である。宇宙に繋がる門が開いているような見え方をし、感受性の高い方であれば、墓石による鎮魂を感じ取っていただけるかも知れない。ある種の家系のヒストリカル・モニュメントとして、うまく収まったように感じている。
「seldome, spectaclar.」をプロトコルに設定したが、多くを自由裁量として委ねていただいたために、この言葉は誰にも伝える必要がなかっとことを、お断りしなければならない。一点だけ、確認を求められたのは、「なぜブラックライト?」であったが、「奥ゆかしさ」という一言で納得いただけた。「seldome, spectaclar.」のプロトコルは、実は作家本人にとても有効に作用し、わずか1時間以内で描きあげることができた。
文・作品:竹中隆雄