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石材業は、町内活動業。
石材業/駒原厚雄
駒原さんは、町場の石材店3代目の店主である。かつてとは様変わりした現代の「石材業」について、鷹揚な語り口でお話しをいただいた。
墓石のコーディネート業。
今は、石材の加工は「外注」になっているんですよ。愛知県の岡崎市や茨城県の真壁町など昔からの石切り場に加工業者が集まっていて、そこで加工を行います。機械で石の切断から彫りまでやっちゃいますから、職人仕事という感じではなくなっているんですね。3Dプリンターのように石を丸彫りできる工作機械も出てきたくらいですから、これから先はどんどんそうなる一方でしょうね。以前は、ビルの外壁で石貼りもありましたが、今は減っていますよね。その外壁も石材は工場生産に切り替わり、プレート製にしてボルト締めで取り付けをするくらいです。職人も足りていないので、もう工場でしか作れなくなるんですね。石材を模したフィルムシート(写真)もたくさん使われるようになりました。
そういった流れもあって、町場の石屋はお寺の墓石が中心です。お寺からお客さんをご紹介いただき、要望を聞き取り、外注先で加工したものを取り付ける、という流れですね。そうなると、お客さんの話をよく聞いてそれに応えられるかどうかが腕になってきます。納得できるものをつくるお手伝いできるかどうか。お客さんも皆さん初めてつくる方ですから、こちらから「こういうのはどうですか」と提案していきます。何種類もCADで図面を描き、ヒアリングするんですね。石種と加工法で見積もりが変動しますから、それぞれに見積もりもつくります。墓石はじつは地域によって寸法が決まっています。うちは東京寸法でやっていますが、そのあたりの調整もありますね。だから、デザイナー業というかコーディネート業といったほうが近いですね。
昔の墓石づくりは、職人の分業体制。
かつては、墓石づくりといえば大変な力仕事でした。うちは祖父が石材屋を興したわけですが、元々は車大工といって牛車の車輪などを作っていました。大正時代くらいになると自動車が出てきて、これから牛車は難しくなると思い、近所の石屋さんに習って商売替えしたんですね。そのころは、機械なんてもちろんありませんから、墓石をひとつ作るのにも細かく専門業者が分かれていました。まず、石切り場で採れた粗石を「山石屋さん」と呼ばれる職人が、飛び矢で立方体に加工します。その原石を貨車で中間問屋に持っていき、それを我々「石屋」が買って、今度は「磨き屋さん」という職人が砥石で磨きます。それから、「書家さん」に文字を書いてもらって、「字彫り屋さん」が突きノミという道具で掘削していくわけです。字彫りは、書家さんの意図を汲んで筆遣いを読み、力が入ったところは深く彫るなど職人の腕の差が出やすいところでしたね。昔は、石屋ごとに違いがありましたので、墓石を見れば誰の仕事だか分かったものです。
当時はなにしろ石の加工だけで1本1ヶ月くらいかかる大仕事でしたから、そのあと磨きに入るため、製品として墓石を立てるまでは大変なことでした。親父の代までは自分で彫っていましたよ。朝の始業前にコークスで焼いてふいごで吹いて叩いてと鍛冶屋さんのように刃をつくってから現場に出かけていました。鋼は毎日やらないとダメになりますから。祖父のころには、完成した墓石を牛車でお寺さんまで運んで納品していましたから、遠くのお寺の仕事を受けることはできませんでした。だから石屋は、お寺さんを中心に地域密着で仕事をしてきたわけですね。機械化される前まではそうやっていたんですね。
ご近所さんとお寺さんの「町内活動業」。
私が小学生くらいまでは店でも作業をしていましたが、埃が出るので徐々に町場では加工ができなくなってきました。今ではまわりが住宅街になりましたからね。だから、親父までの時代とは仕事の種類が全然違います。 町場の石屋は、代々受け継ぎながらやっているところが多いですから、人づてに仕事をいただくわけですね。お寺さん関係もそうです。人付き合いなくして仕事にならないのですね。考えてみれば、時代に合わせて業態が変わっていくのも自然な流れと言えるのかもしれません。
今では、特にお寺さんからのご要望をまとめさせていただく仕事が大きなボリュームを占めています。具体的に言えば、お寺さんの行事をお手伝いですね。テント設営や受付や雑用をやらせてもらっています。葬儀屋や仏具屋、植木屋、花屋などの出入り業者がみなそうですね。うちは7~8社のお寺さんとお付き合いさせていただいていますから、それぞれの行事が定期的にあったり、よその地域のお寺さんに出かけることもあって、年間のスケジュールがそれで埋まります(笑)。お客さんとのやりとりはもちろん、お寺さんとの関係づくりということで言えば、「人間関係業」とも言えるのでしょうかね。地元密着でご近所のご縁でお仕事をさせていただく以上、町内活動が営業活動という一面も持ってしまうのですね。うちに人もよく寄るようになりますし、町内の情報にも自然と詳しくなります。
お墓は、亡くなってからの家。
私が、このところよく考えさせられるのは、「お墓」文化のこれからです。今、お墓を継いで管理することが難しくなってきて、「墓じまい」や「樹木葬」などが話題になっていますよね。私が言うと角が立つのですが、あれは少しどうなのかなと思っています。石屋が言えば「お墓が減って自分たちの儲けが減るからだろう」と思われてしまうのですが、そうではなくて、信仰と文化の問題として一度立ち止まって考えたほうがいいのではないかと思うのです。お墓って「死んでからの家」ですから、「家」について突き詰めれば「墓」になるわけですよね。ご先祖様がいて自分たちがいるわけですからね。これからの「お墓」について宗教家の方々にはできれば積極的にご発言していただきたいですし、私たちもみんなで真剣に考えなくてはいけませんよね。
取材をさせていただいた日は、東京都議会選挙の真っ只中だった。選挙活動中の議員さんがご挨拶に訪れたほか、ご近所の方も気軽に立ち寄って手土産を渡しに来た。1時間の取材の間に3件の来客である。来客というよりもご近所付き合いという感じではあるが、駒原さんが「町内活動業」と表現するのも深くうなずける思いがした。